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はじめまして。
先日、稽古総見を拝見いたしました。

その折に、大変印象深い光景を目にいたしました。
十両のぶつかり稽古の際、胸を出していた魁聖関が土俵をおりると、
怖いお顔をなさった友綱親方がその場に待ちかまえておられ、
手にしていた棒のようなもの(よくわかりませんでしたが
恐らくお傍にいらした呼出さんが手にしていた箒の柄かと思います)
で魁聖関の頭をゴツンと小突き、
何やら強い口調で叱りつけ始めたのです。
魁聖関に何の落ち度があったのか、
ど素人の私には全くわかりませんでしたが、
叩かれて叱られる人を久しぶりに見たなと思い、
驚きとともに見入ってしまいました。

また、叱られた魁聖関も、神妙な顔つきで素直に頷きながら聞き、
ハイ、スイマセンと謝っていらしたのが、
客席からも口の動きでわかりました。
その後、幕内の申し合い稽古が終わったあと、
魁聖関は西側のやや土俵近くに陣取り、他の力士が座っている間、
三役のみが上がっている土俵を見上げながら、
お一人で黙々と四股を踏み続けていらっしゃいました。

友綱親方は正しい教育を施し、
魁聖関は正しく教育を受けている、と感じました。
昨今の風潮を考えると、他の人(横審の先生方、観客、親方衆や
他の力士たち、とりわけ本人よりも下に位置する人々)の前で、
棒を使って叩いて叱るなどと言う事は、
今の普通の学校や企業ではありえない事だと思いますが、
それは行為のみが問題視されているのであり、
その行為に出る事情は、蔑にされているように思えます。
人目を顧みずに魁聖関を叩いた友綱親方からは深い愛情を
感じましたし、(叩き方にしても、身にも心にも痛みを感じるように、
でも傷にはならないようにという絶妙な力加減に見えました)
叩かれた魁聖関にも、素直に受け止めて
課題と認識する姿勢がみえると感じました。

先日のログ「師匠って」を拝読いたしまして、
私が見ていたのと同じ光景をご覧になって
眉をひそめた方がいらしたのかな、と思いました。
十分にあり得ることですし、もっともな事だとも思います。
ですが、それこそが、現在の日本が失ってしまっている
重要なものの一つだとも思います。

厳しく叱る必要があるのなら叩くのも方法で、
そこに思いやりがあるのなら、暴力としての叩く行為とは
まったく別物ですし、育てている以上、
ならぬものはならぬと教えなければなりません。
おまけに怪我をさせる危険も伴うとあっては、
強い責任感と愛情がなければ、
教育のために叩くことなど出来ないと思います。
この総見でのワンシーンを、何かの参考にすべき家庭も、機関も、
たくさんあるのではないでしょうか……。

などと、長々と語ってしまいましたが、
現代日本には失われたと思っていた古き良き時代のものが
まだまだ残っている、相撲って素晴らしいなと、
いいものを見せていただいたなと、個人的に感動いたしました。
「期限を決めずにその人生に責任を持つこと」……
さすがに日本中から愛された名大関・魁皇関が育った部屋ですね。

最後に、魁聖関。
お父様がいらっしゃらないそうで、
お母様や御弟妹では埋めて貰えない寂しさを感じた事が、
今までたくさんあったと思いますが、
これからはもうそんな事はないですね、きっと。

送信者お名前:栄 寛子

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2011年09月08日 10:11に投稿されたエントリーのページです。

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